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奈良・平安時代の健康状況 番外編

令和の時代がはじまりました~この度は歴史の本なのに奈良から平安の頃の人々の食生活や健康状態などの興味深い情報が得られたので、チコちゃん情報として(笑)お聞きいただけたらと思います。

万葉集は全20巻4500首ほどの歌があり、その5巻の序文、大伴旅人(たびと)が書いたとされる中から選ばれた令和は周知の通りですね~連休中お参りで神社大変だったとのこと(笑)万葉集はこの旅人の息子の大伴家持(やかもち)は授業でも習う超有名な方です~万葉集はこの貴族である、やんごとなき方でもある家持により編纂され現代まで残っている世界でも稀有な存在なものです。古いからだけではなくこの万葉集は貴族からその頃の天皇から名もなき人たち、農民から罪人まで幅広い層の方々の歌が編纂されている、カーストを超越した和歌と言われています。

土用の丑の日は江戸の平賀源内が土用丑の日と、されていますが、大伴家持の歌に、鰻(むなぎ)とり食(め)せ~と歌っていて、更に以前から蒲焼きか?は分かりませんが(笑)強壮効果があるものとして食されていたようです。

そろそろ本題に~奈良時代と言えば東大寺の大仏をイメージしますが、この時代は中国の当時の隋や唐から律令制を取り入れたり、一番はこの仏教が全国に広がった時期でもあります。大仏を建立したり全国に国分寺国分尼寺を沢山作ったので、中央線の国分寺がそうですね(笑)庶民は律令制による税金やこれらの建築、様々な飢饉や疫病で実際は大変な時代だったよう・・・奈良以前の飛鳥の時代は仏教の教えの殺生の観念がなかったので、庶民も貴族も地味あふれる食事をしていました。奈良時代になるとある意味国教として仏教が広められたので、律令制の税金も相まって徐々に健康状態は悪くなっていきました。

平安時代鎖国された江戸時代よりも長く、源氏物語枕草子などに代表される、なんだか雅な時代とイメージ、認識されています~昭和天皇京都御所で儀式が行わたとのこと、京都御所は一度は修学旅行で(笑)行かれたことがありますよね~御所の塀はその当時の天皇が居たにも関わらず低く、当時の衛兵も夜になると源氏物語のように(笑)夜な夜な出かける~などと言うある意味平和、安寧の時代だったみたいです~

平安末期は特に寒冷時期にあったようで、故に貴族は有名ですね~女性の十二単(じゅうにひとえ)。寒さとあの平安の平和を享受した、少しネガティブ思考と言いますか、昭和の言い方ですとアンニュイな(笑)感じ~十二単は実際は26着にも及び、これで寒さを凌いでいたようです。これでは脱いだり着たりは面倒くさいですね、いわゆる着た切り雀状態~マリーアントワネットの時代も同様だったようです~風呂は入らず蒸し風呂のようなものを時々、寝殿はお手洗いがなく尾籠な話でスミマセン~おまるを使い、溜まったら川に流しに行ったとのことです。

源氏物語巻絵で見られるあの女性のおしろいで真っ白な、プックリとしたお顔はその汚れや糖尿病気味の顔を誤魔化すのが目的だったとのこと~笑うと大変なことになってしまったらしいです(笑)庶民はまだ寒冷や飢饉があっても庶民なりに生き抜いていました~この平安は貴族や寺院の荘園制、これは藤原連合グループが長年かけて作り上げたものです、律令の名の下にうまい汁を吸っていたということです・・・庶民の税や飢饉なども相まって時には死者は累々の大変な時代でもありました。

貴族は仏教の殺生の観念もありタンパク質は魚類やアワビ、いつの時代もアワビは高級食品だったよう~(笑)それらを保存のために干物にして主食は白いご飯、野菜はほとんど食べず、濁酒(どぶろく)をゴクゴク~全く動かない栄養状態よくない、寒さで夜はあまり眠れない、違う意味合いもありますが(笑)大体の男性は糖尿病だったようです・・・

糖尿病なので抵抗力がなく大勢の方が結核で亡くなる事例が多く、白米だけの食事なので脚気や不衛生による皮膚病も多かったみたいです。香(こう)がこの時代に流行したのは体臭がひどかったから~香水も起源は同じですね~

平安の貴族の寿命は男性が32~33歳くらい、女性は27~28歳と出産で亡くなる方が多かったとのことです・・・庶民は飢饉や疫病もあったので多分同様か少しは長かったかと思われますが、いづれにしても現代の健康寿命とは雲泥の差がありました。

 

貴族の武力であった平家に源氏、平家は貴族化して源氏が平家を滅ぼして鎌倉時代、いざ鎌倉~に移るのはご存知の通りです~貴族化した平家は上記の食事などで体力が衰えて滅びたのもひとつの要因とされています。いつの世の中でもバランスのとれた食事が大切ということで(笑)令和の新しい時代を元気に生き抜いていきたいと思います!